北京魏啓学法律事務所
中国特許弁理士 中国弁護士
中国特許弁理士 中国弁護士
陳 濤
1.はじめに
中国では、進歩性の判断は、最も近い先行技術を選択するステップ1と、発明の相違点及び発明の実質的に解決しようとする課題を判断するステップ2と、保護を請求する発明が当業者には自明であるかを判断するステップ3とを含む3ステップ法に基づいて行われる。最も近い先行技術は進歩性判断の論理付けの出発点であり、最も近い先行技術の適切な選択は進歩性の判断において非常に重要である。本文は、中国審査基準の規定に照らし、事例を参照しながら、特許実務における最も近い先行技術の選択に留意すべき各要素を検討する。
2.中国審査基準の規定
中国特許審査基準では、最も近い先行技術の選択について次のように規定されている。
「最も近い先行技術とは、先行技術のうち、保護を請求する発明と最も密接に関連する発明であり、発明が格別の実質的特徴を有するかを判断する基礎である。最も近い先行技術は、例えば保護を請求する発明と技術分野が同一であり、解決しようとする課題、効果又は用途が最も近い先行技術、および/または最も多くの発明の構成が開示される先行技術、あるいは、保護を請求する発明とは技術分野が異なるが発明の機能を果たせ、かつ最も多くの発明の構成が開示される先行技術である。
なお、最も近い先行技術を選択するにあたって、技術分野が同一又は近い先行技術を先に考慮しなければならない。」
実務では、最も近い先行技術の選択について、他の考慮要素もある。これらの要素の全面的な把握は、適切な無効審判対策の策定に資することができる。
3.事例
中国最高裁判所の「最高裁判所知的財産案件年度報告(2019)」に選ばれた当該無効審判事例は、「シャークフィンアンテナ」を名称とする特許(特許番号:200710019425.7)に関する。この対象特許の登録クレーム1の記載は以下のとおりである。
「アンテナケースを備え、アンテナケースの内側の上部にラジオ受信アンテナが設けられ、ラジオ受信アンテナの一端にアンテナ信号出力端が設けられ、アンテナ信号出力端はアンテナ接続素子を介してアンテナ増幅器の信号入力端に接続されるか、または同軸ケーブルに直接接続され、アンテナケースの底部に取付地板が装着されており、
前記ラジオ受信アンテナは、アンテナケースの内側の上部に射出成形により嵌設されるか、または固定係合して取り付けられ、
アンテナケースの内側の上部にはラジオ受信アンテナが設けられ、前記ラジオ受信アンテナは螺旋状スプリングアンテナまたは金属アンテナを採用し、アンテナのラジオ信号受信の有効長を増加させており、360度の全方向信号受信を可能とし、
前記ラジオ受信アンテナはAM/FM共用アンテナである、ことを特徴とするシャークフィンアンテナ。」
請求人提出の最も近い先行技術(CN1841843A;以下、引用文献1という。)は同様にシャークフィンアンテナに関し、対象特許のクレーム1の大半の構成が開示されている。両者の相違点は、a.アンテナ信号出力端はアンテナ接続素子を介してアンテナ増幅器の信号入力端に接続されるか、または同軸ケーブルに直接接続され、b.前記ラジオ受信アンテナは、アンテナケースの内側の上部に射出成形により嵌設されるか、または固定係合して取り付けられ、c、前記ラジオ受信アンテナはAM/FM共用アンテナである点にある。相違点a、b、cはいずれも他の先行技術に開示されており、当業界の技術常識でもある。
引用文献1は対象特許の技術分野と同一であり、クレーム1の大半の構成が開示されていることから、通常、引用文献1の選択は適切であると考えられる。しかし、元の特許審判委員会は次の理由によりクレーム1の進歩性を肯定した。
「相違点cについて、引用文献1の発明はAMアンテナとFMアンテナとを分離して2本のアンテナとするという技術を採用してこそ、背景技術に記載された欠陥を解消した、信号の受信効果が良好なアンテナ装置を実現することができる。しかし、複数本のアンテナの使用は対象特許では、欠陥のあるものと考えられ、引用文献1に開示される発明にAM/FM共用アンテナの技術的手段を組み合わせると、その解決しようとする課題は解決できなくなる。つまり、引用文献1に逆の示唆があり、当業者が対象特許の実質的に解決しようとする課題を解決するのを妨げている。当業者には、引用文献1に開示される発明にAM/FM共用アンテナを用いた先行技術を組み合わせる動機付けはない。」
一審裁判所及び二審裁判所は上記判断を認めた。
再審において、最高裁判所は次の理由により、逆の示唆がないと判断した。
「(1)請求項の進歩性有無を判断するにあたって、先行技術全体には、当業者が請求項の実質的に解決しようとする課題に直面する際に、この最も近い先行技術を改良して請求項の実質的に解決しようとする課題を解決し請求項に係る発明をなすように、最も近い先行技術と当業界の技術常識又は他の先行技術とを組み合わせる動機付けがあるような示唆が存在するかどうかを考慮しなければならない。
(2)係争審決における『逆の示唆』は、通常、示唆に対していう。1件の先行技術には、逆の示唆があるかどうかを検討するとき、当業者の知識レベル及び認知能力に基づき、先行技術の全体から分析判断しなければならない。先行技術としての特許文献の背景技術に記載の欠陥は実際には、その出願人の出願書類作成時の主観的な認識であり、当業者が必ずこの客観的な認識を持つということを意味していおらず、当業者が欠陥内容に制限され、この先行技術から示唆を得られないということも意味していない。また、欠陥についての記載があっても、この欠陥は相違点の実質的に解決しようとする課題及び示唆の判断に関係があるかどうかをさらに検討する必要がある。
(3)人間社会が絶えずに発展して進歩していく1つの重要な理由は、科学技術を根気よく続けて研究改良を重ねる継続的な技術イノベーションである。物事に完璧なものはなく、技術は必ずそれなりのメリットとデメリットがある。当業者がメリットとデメリットのある先行技術に直面して示唆を探すとき、実質的に解決しようとする課題を出発点として、各要素を勘案して取捨判断し、先行技術全体から示唆又は逆の示唆があるかどうかを判断する。
当業界では、AM、FMアンテナを共用できるし、AM、FMアンテナを分離することもできるのは、当業者が技術常識及び引用文献1に基づいて認識できるものである。当業者は引用文献1に基づいて、AM、FMを共用する技術自体に欠陥があり、逆の示唆があるという結論を出せず、AM、FMを分離するには、別の創意工夫を要するという結論も出せない。逆に、相違点cに対応する『従来のアンテナの機能が単一で、電子機器が多ければ多いほど、必要となるアンテナの数が多くなり、スペースに限りがある車両、船に複数本のアンテナを取り付けることは不便である』という課題を解決するために、当業者が当業界の技術常識及び引用文献1の開示内容を組み合わせて、メリットとデメリットを分析して取捨すれば、『前記ラジオ受信アンテナはAM/FM共用アンテナである』という構成には容易に想到できる。」
4.最も近い先行技術の選択要点
上記事例から明らかなように、最も近い先行技術の選択によって争点を起こす可能性がある。引用文献1は相違点cと逆の技術的手段を重要な改良点としているので、当業者には、引用文献1の発明の目的に反する動機付けがないと元の特許審判委員会が判断した。この事件でこの判断は再審判決に否定されたが、同じような争いは他の無効審判事件に続けていく可能性がある。
中国審査基準及び上記事例からすれば、最も近い先行技術を選択するにあたって、この選択を肯定するポジティブ要素もあれば、この選択を否定するネガティブ要素もある。
ポジティブ要素は次のものを含む。
(1) 技術分野が同一又は近い。
(2) より多くの構成が開示される。
(3) 解決しようとする課題、効果又は用途が最も近い。
ネガティブ要素は次のものを含む。
(1) 最も近い先行技術には、対象特許の実質的に解決しようとする課題はない。「3ステップ法」では、最も近い先行技術を改良するのは、最も近い先行技術にある課題、すなわち対象特許の実質的に解決しようとする課題を解決することを目的とする。適用場面等によって、最も近い先行技術に対象特許の実質的に解決しようとする課題がない場合、当業者には、この先行技術を改良する動機付けがないことから、対象特許の発明をなすことはできない。
(2) 当業者は相違点を最も近い先行技術に適用してその課題を解決できることを合理的に予見しにくい。この要素は主に化学分野等の予見性が弱い技術分野によく現れる。相違点を最も近い先行技術に組み合わせるのは、課題を解決するためである。当業者がこの組み合わせによって最も近い先行技術にある課題を解決できるかを判断できない場合、当業者には、このような組み合わせをする動機付けがないため、対象特許の発明をなすことはできない。
(3) 相違点を最も近い先行技術に組み合わせるには、技術上困難があるため、当業者がこの組み合わせを実現することができない。当業者は創意工夫をする能力を有しないので、相違点を最も近い先行技術に組み合わせるときには、多くの技術上困難を克服する必要があって、この組み合わせの実現が難しい場合、同様に対象特許の発明をなすことはできない。
(4) 相違点を最も近い先行技術に組み合わせると、当該先行技術の発明が実施できなくなるか、又は本来の発明の目的に反する。当業者が相違点を最も近い先行技術に組み合わせるのは、先行技術の発明を改良するためであるので、この組み合わせによって先行技術の発明が実施できなくなるか、又は本来の発明の目的に反することになると、当業者には、両者を組み合わせる動機付けがないことを意味し、対象特許の発明をなすことはできない。上記事例では、特許権者は主にこのネガティブ要素の観点から反論している。
上記ネガティブ要素について、中国審査基準に明確な規定はない。上記記載は中国審査基準の規定及び弊所の実務経験に基づいてまとめたものである。中国特許実務では、これらネガティブ要素が争点になることはよくある。特許権者も無効審判請求人も自分の主張を有効にするために、これら要素を十分検討すべきである。
5.むすび
最も近い先行技術を選択するにあたって、ポジティブ要素及びネガティブ要素を総合的に判断し、なるべくネガティブ要素が避けられる最も近い先行技術を選択すべきである。当然、ネガティブ要素のある最も近い先行技術を証拠として無効審判を請求しても、無効審判が失敗になることを意味していない。これらネガティブ要素について十分検討することにより、その不利な影響を小さくして無効化の勝算を高めることができる。そして、複数の証拠を組み合わせることも無効化の勝算アップにつながる。